■修理工事の概要
平成の大修理は平成20年から6カ年という期間を経て完了に至りました。前回の屋根の葺替から20年、大修理としては昭和28年に重要文化財に指定されて以来の約60年ぶりとなります。昭和42年の羽越水害後も修理が行われましたが、今回の工事中でも水害の被害が床下や壁に見られる状態でした。近年では白蟻の被害が柱や梁で見られるようになり、根本的は大修理が必要な状態となっていました。そして工事中の平成23年には東日本大震災が起こるなど、建物の地震に対する安全対策も重要になっていました。
今回の工事では主屋全体に耐震補強も行い、これまでと同じに使えるように全体の補強を行いました。一見するとあまり変わったようには見えないかもしれませんが、当初からの材料にはできるだけ手を加えず、見えない部分に工夫をこらして昔と変わらない姿となるよう修復を行いました。工事中には主屋の棟札が発見され文化14(1817)年に再建されたことが明確になりました。主屋は村上の大工「板垣伊兵衛永則」の作ということがわかり、邸宅内では米蔵、村上市では浄念寺の本堂や村上大祭で使うおしゃぎりにも関わっていることがわかっています。
■修理の変遷
現在の主屋は文化14年に再建されたもので、7代当主の善映が作らせたものと考えられます。主に酒造業を行うために計画され、当時は主屋の背面側には酒蔵や米蔵が繋がって建てられていました。土間から座敷にかけての改築はほとんど見られず当時のままで現在に至ります。今回の修理では玄関から茶の間にかけて室内が漆で塗装されていたことがわかりましたので、煤を荒い落とし当時の漆塗りの色合いを再現しました。正面の入り口から当主の間である茶の間部分にかけてはケヤキの柱が多く使われ、特に格式を考えて計画されたことがわかります。柱は床下で根継を行ったので、床に近い部分でいろいろな継手を見ることができます。
明治期になると10代当主である善郷の婚礼に併せて納戸や湯殿部分が改築されました。酒造業は廃業し背面の酒蔵や米蔵も撤去され、跡地に現在の裏土蔵が建てられました。主屋の背面側が改造された際に切断された大梁を現在でも見ることができます。
昭和初期には11代当主である萬寿太郎が正面側の前座敷部分を主に使われ、その際に室内全体と階段や窓ガラス、瓦葺き等が改築されています。正面の瓦葺きは当時は大座敷のようなこけら葺きでした。今回の修理では前座敷2階の縁板部分のほか数カ所に魚形の埋木を見ることができます。
昭和20年代には田中泰阿弥による庭園の修復が行われ、同時期に現在の新座敷が新しく建てられました。土間のレンガ釜戸や流し場などもこの時期に整備され、昭和28年には主屋と蔵3棟が重要文化財に指定され現在に続いていきます。
■平成の大修理を終えて
修理前の事ですが、囲炉裏の煙越しに土間の窓から光が差し、土間の重厚な木組みが浮かび上がった空間を見たときに建物がもつ力に圧倒されたのを思い出します。修理を続けることで今までの歴史が至るところに刻まれ、大事に守ってきたことで200年前の人が見て、触ったものを現在でも見ることができるのは貴重な経験と思えます。今後も渡辺家が末永く後世に伝えていけることを期待します。
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