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建物の形式としては、街道に平行に建棟と直角に建棟の二棟からなり屋根はT字型となりいわゆる「撞木造り」の様式を採っている、この形式は関川村に多い形式である。
母屋は桁行35.1メートル、梁間17.8メートルの切妻造りの置く行きの長い造で、豪壮重厚な感じの建物である。二度にわたる火災のあと文化14年(1817)に現在の様に再建された。
母屋を南北に貫通する土間に面して茶の間・中茶の間・台所と続いてこの土間は採光のため吹き抜けになっていて壮大な空間を造り、大黒柱はじめ各柱、天井の梁材はけやきの巨木良材を木取って組まれていて壮大な空間は見る物を圧倒する。反面、大座敷、ニ之間、納戸座敷などは繊細な数奇屋風の作りとなっており壮大さと繊細さを合わせ持つ建築である。
部屋の数は約40室、便所7箇所、浴室4箇所と大規模な造りになっているが、最盛期にはここに70名程が住んでいた。
大座敷はもちろん、中座敷にも一本一本吟味して選ばれた無節の柱・丸桁・敷板など惜しみなく用いられ、庇ははね木で支えるという特別工法が施されている。
屋根は総木羽葺36.5センチメートル(一尺二寸)の材料を用い、主要部分は三重葺になっている。
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大 座 敷
前 二 階 |
下に平面図を示そう |
1階平面図
二階平面図
高所から見た渡邉邸母屋 |
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